廃線から14年…イタリア山間部のローカル線“大復活”のワケ 「乗客27倍」「新型車で利便性アップ」ナゾを徹底解剖

2025年04月08日
廃線から14年…イタリア山間部のローカル線“大復活”のワケ 「乗客27倍」「新型車で利便性アップ」ナゾを徹底解剖
始発駅のメラン駅に停車するフィンシュガウ鉄道の列車(筆者撮影、以下同)© JBpress 提供
(柴山多佳児:ウィーン工科大学交通研究所 上席研究員)
廃線から14年、劇的に生まれ変わった南チロルのローカル線
 地方部を中心に日本国内の公共交通の経営が苦しいことは、コロナ禍を経て広く知られるようになった。
 2023年10月に法律が改正され、経営が厳しい鉄道路線に対して特定線区再構築協議会(通称「再構築協議会」)を国が設置して協議できるようになった。国土交通省は「『輸送密度』が1000人未満の区間を優先して協議会を設置する」(NHK記事)との方針を明確にしている。
 また「デジタルを活用しつつ、交通のリ・デザインと地域の社会的課題解決を一体的に推進するため」に「地域の公共交通リ・デザイン実現会議」が国土交通大臣を議長として設置された。そのとりまとめ資料には「地域の輸送資源の総動員」や「地域の公共交通の再評価・徹底活用」といった言葉が並ぶ。各地の自治体の地域公共交通計画を見てもよく並ぶような言葉だ。
 さて、本連載の中心であるヨーロッパにさっそく話題を移そう。場所はイタリアの最北部に位置するトレンティーノ=アルト・アディジェ州である。
 第一次世界大戦の戦後処理で当時のオーストリア=ハンガリー帝国からイタリアに併合された地域だ。この歴史的経緯から、州の北半分にあたるボルツァーノ自治県では今でもドイツ語がイタリア語と並んで公用語であり、ドイツ語が母国語の住民も多い。
 歴史的には南チロルと呼ばれた地域で、ドイツ語では今でもそのように呼ぶ。チロルの北側半分は今でもオーストリア領である。
フィンシュガウの位置。Eurostatデータを基に著者作成© JBpress 提供
 その南チロルには驚くべきローカル線がある。1906年に開業して1991年にいったん廃線となったが、大幅なテコ入れを経て2005年に再開したら、一日あたりの乗客が約270人から約7400人へと約27倍に増えたという路線である。
 輸送密度の数字は公開されていないが、控えめに見積もって90程度であったものが2500くらいまで増えたということである。同じローカル線なのにこんなに違うとは驚くべき増え方であるが、いったい何を「総動員」してどう「リ・デザイン」して、鉄道を「再構築」したのだろうか。
 今回の前編、そして中編では、その再構築の内容を詳しく見ていきたい。
日本の存廃協議入りレベルをはるかに超える乗客の少なさ
 その鉄道はドイツ語でフィンシュガウ鉄道という。
 現地の方言ではフィンシュガー鉄道、イタリア語ではベノスタ渓谷鉄道となる。公用語が2つあるので、会社名などもドイツ語名とイタリア語名の両方がある。
 いちいち両方を併記していてはややこしいので、ドイツ語話者が多い地域のローカル線であることから、本稿では路線名は標準ドイツ語のフィンシュガウ鉄道と呼び、地名などは基本的にドイツ語で表記する。
 フィンシュガウ鉄道の起点となるのはフィンシュガウの入り口にあたるメランの駅である。ここから鉄道は北西側に位置するフィンシュガウの渓谷の入り口に向けて、大きく迂回してカーブを描きながら高度を稼いで、その先は谷底のエッシェ川に沿うように終点のマルスまでを走る約60kmの路線である。
 場所は現在のオーストリアとイタリアの国境、あるいはチロルの南北の境をなすアルプス山脈の主脈のすぐ南側で、3000m級の山々に囲まれた山間部である。中心をながれるエッシェ川に左右から流れ込む支流が作る扇状地が重なり合うように続き、車窓にはリンゴ畑が続く。
 沿線人口は決して多くなく、起点となるメラン市の人口が約4万5千人、路線の大半が位置するフィンシュガウ郡の人口は約3万5千人である。鉄道沿線の人口はわずか6万人程度である。
 まずは廃止から再開に至るまでの経緯を詳しく追ってみよう。
 先に述べた通り、路線の開業は1906年である。その後に第一次世界大戦があり、オーストリア=ハンガリー領だった南チロルは1918年にイタリアに占領され、1920年に正式にイタリア領となる。
 占領後はイタリア国鉄によって運営が続けられた。筆者が州の交通を管轄するSTA社(後述)に聞いたところでは、廃止直前の1990年頃の乗客は年間約10万人、一日あたりにすると約270人であったそうだ。
 列車は一日に3本で、週末はすべて運休。さきほどの輸送密度90人というのは、県の資料を参考にしつつ、乗客が平均して路線の3分の1にあたる20kmの距離を乗ったと仮定して計算したものである。
 今の日本で議論になっている輸送密度1000人よりもはるかに小さく、この程度では欧州であってもさすがに廃線になっても仕方ないレベルである。
 実際、1991年には廃線となった。廃線ののち、線路や駅舎などのインフラはしばらく放置されていたが、1999年になってイタリア国鉄から県に施設の所有権が譲渡された。
 ここまではよくあるパターンの話である。こうなると、廃線跡の線路が剥がされてサイクリングロードにでもなるのがよくあるストーリーであるが、南チロルは全く異なる方策を取った。
いきなり乗客100万人
 後述するように県の主導で路線や駅の大改良がおこなわれて、車両も新調された。
 営業が再開したのは2005年5月5日である。初年は7か月弱の期間で50万人が利用すれば上々とみられていたが、ふたを開けてみたら倍の100万人。その後も利用者は増え続け、2009年には年間270万人となった。
 輸送密度2500程度というのはこの数字から上と同じ仮定をして計算した結果であるが、もはや廃止など話題にすらならない水準で、むしろ輸送力不足が問題になっているくらいである。
 平日のみ1日3本の路線をそのまま再開したわけではないことは言うまでもないが、一体どのような「再構築」と「リ・デザイン」を行ったのだろうか。本稿、そして中編では、それを丹念に見ていこう。
新車導入で乗り心地・車窓の眺望も抜群
 まずは基本となる鉄道サービスの水準である。朝から晩まで1時間おきに各駅停車が走り、さらに快速列車が2時間おきに走るダイヤとした。
 また廃線直前は、起点となるメラン駅では別の路線との接続など考慮されておらず、フィンシュガウ鉄道の列車の発車直後に別の路線の列車が到着するひどいダイヤだったそうだが、これを改めて必ず無理なく短時間で乗り換えられるダイヤ設定にした。
 車両も真新しいものに完全に入れ替えた。車両自体はスイスのメーカーの標準型の気動車であるが、アルプスの山並みの眺望を楽しめる大きな窓、エルゴノミクスの設計がしっかりした快適な座席、車いす対応の大型トイレ、自転車やベビーカーを積載できる開放型の多目的スペース、そしてホームと段差なく乗り降りできる低床であることがウリである。
 コスト縮減のために他所から中古車を買ってくる案もあったそうだが、それでは必要なサービス品質を満たせないとの判断からあえてコストをかけて新車を導入した。
 また外観もアルプスの山並みに映えるカラフルさと落ち着きを兼ね備えたデザインである。座席もグレーを基調とした落ち着いた色だが、いたずら防止に効果がある色合いにしたという。冷暖房ももちろん完備である。
 日本のローカル線に乗ると、旧国鉄時代からの50年選手かと思うようなレトロな気動車に出くわすことが今でもあるが、乗り心地や車内の快適性はそれとは全く異なる水準である。
バスを降りたらすぐホーム
 どんなにダイヤが便利で車両が快適でも、わずか6万人という限られた人口のエリアで公共交通機関同士が競争しては、お互い共倒れとなる。
 フィンシュガウでは、川の支流沿いの谷から出てくるバスは、そのままメランの町まで直行するのが従来の路線網であった。しかし、それでは谷沿いで鉄道とバスで乗客の取り合いとなる。鉄道の再開にあわせて、支流沿いからのバスを再編してすべて鉄道に接続するようにし、並行するバスは鉄道でカバーできない場所の離れた集落を通るもの以外は基本的に廃止した。
 しかしこれまで直通していたサービスが乗り換えとなると、乗客には不便を強いることにもなる。その不便の一側面は運賃である。鉄道とバスを乗り継いだ結果、初乗り運賃を2度払って割高になるようでは、乗客や住民の支持を得られないのは当たり前である。
 州内の公共交通の運賃を統合して、鉄道であろうがバスであろうが、運賃は起点から終点までの距離にだけ比例して決まるよう完全に改定した。また住民向けのポストペイ方式のICカード乗車券を導入した。
 これはICカードを使う点は日本の交通系ICカードと似ているが、事前にチャージするのではなく銀行口座を登録しておく。乗降時にタッチすると乗った区間が記録されていき、毎月の乗車分が清算されて後から料金がまとめて引き落とされる仕組みである。
 購入時に車体代金をまとめて支払い、ガソリン代も給油時にまとめて払う自動車と異なり、公共交通は基本的に毎回きっぷを買うたびにお金を払う。たとえ少額でも毎回支払うという行為自体が費用負担感を増大させるが、ポストペイ方式によってそれを緩和している。
 しかも、年初からの公共交通に乗った総距離に応じて段階的にキロ当たり単価が安くなるよう料金が設定されている。累計乗車距離が2万キロを超えると年内は追加料金がかからない。これによって多く利用する人を優遇しつつ、日常の利用を誘導している。なおこの改定が行われたのは鉄道の再開からやや遅れて2012年であり、県全体で一括で行われた。
 バスと鉄道の乗り継ぎの不便のもう一つは駅である。バスから降りて駅前広場をぐるりとまわって、そこから改札を通ってエレベーターに乗って跨線橋をわたって 、またエレベーターでホームに降りる、といった動線では、乗り換えはかなり煩わしい。
 しかしバスを降りたら目の前に列車がいるとしたら、煩わしさはかなり軽減される。
 フィンシュガウ鉄道では改札を廃して駅への出入りを自由にできるようにしたうえで、駅前広場から建物を通らずホームに直接入れるようにバスを直接ホームにつけたり、駅舎を通る場合でも最短の動線で乗り換えられるようにしたりしている。


うたてぇ
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Posted by ひだねこ  at 06:02 │Comments(0)
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